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横浜地方裁判所川崎支部 昭和58年(ワ)236号 判決

原告

佐藤誠

原告

佐藤栄子

右両名訴訟代理人弁護士

荒井新二

右同

川名照美

被告

右代表者法務大臣

鈴木省吾

右訴訟代理人弁護士

竹田穣

右指定代理人

仁平康夫

外一四名

主文

一  被告は、原告らに対し、各金一六九万五三四三円及びこれに対する昭和五八年七月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。

ただし、被告が原告らに対し各金六〇万円の担保を供するときは、その原告の仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、各金二九九〇万円及びこれに対する昭和五八年七月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件事故の発生と当事者

(一) 原告ら夫婦間の長男佐藤知秋(昭和五三年九月五日生、昭和五七年九月二九日当時四歳、以下「知秋」という)は、昭和五七年九月二九日午後二時ころ川崎市幸区小倉一七三四番地先鶴見川の堤防(以下「本件堤防」という)の低水護岸である平場(別紙(一)図面参照。以下「平場」という)から鶴見川へ転落し、溺死した(以下「本件事故」という)。

(二) 被告国の行政庁である建設大臣は、一級河川である鶴見川及びその河川管理施設である堤防の管理者である。

2  被告の責任

(一) 本件事故現場付近の状況

(1) 鶴見川は町田市、横浜市及び川崎市を流れる長さ四二・三キロメートルの河川(一級)であり、被告が昭和五二年一二月ころから施工した鶴見川の浚渫工事及び護岸工事(以下「本件工事」という)の結果、本件事故当時、本件事故現場及び本件堤防の構造は別紙(二)図面記載のとおりとなつていた。被告による本件工事の結果、本件事故当時、本件事故現場付近の水深は三メートルとなつており、平場から水面までの高低差は二メートルもあり、本件事故現場は、子供が転落した場合はもちろん、大人が転落した場合でも自力ではい上がることが不可能な場所であつたが、更に本件事故現場の平場コンクリートは水路側先端まで平担であり、しかも水面上に突き出る形で設置され、平場の下にも水が流れる構造となつていたため、転落者が平場下へ潜り込んでしまつた場合には水面上へ浮上することすらできなかつたのであり、しかも、平場近くの水面にはヘドロがどす黒く澱んでいたのである。

(2) 本件事故現場の平場の水路側先端には、水面下の川底に突きさし、平場上一メートルの高さにつき出た鉄パイプが五メートル間隔で平場に接するように取り付けられ、その鉄パイプには平場上から二〇センチメートル及び七〇センチメートルの高さに上下二段にロープが張られていたが、右鉄パイプは一本おきにのみ金具で平場に固定されていたにすぎず、金具で固定されていない鉄パイプは軽く押しても平場から二〇センチメートルは水路側に傾いてしまう状態であつたし、ロープも細いひもであつて幼児すら支えることができないものであつた。

また、本件事故現場付近の本件堤防天端上には僅か二か所(別紙(一)図面参照)に、「あぶない!!かわに、はいつてはいけません」と記載され幼児が川にはまつて溺れている絵の書かれた立看板が設置されていたにすぎない。

(3) 本件事故現場流域周辺は住宅密集地域となつており、本件堤防近くには藤木マンションがあつて、同マンションの居住者らはマンションの出入口からすぐに本件堤防に行くことができ、また本件堤防付近の居住者や本件堤防近くにある市民農園を利用して家庭菜園を行つている者らは同農園脇の路地を通り、本件堤防天端への石段を利用して、容易に本件堤防に出られるようになつていたし、平場には本件堤防天端からの石段があつて、容易に降りられるようになつていた(別紙(一)図面参照)。また、本件事故現場近くの下流には末吉橋が、上流には鷹野大橋があつて、右両橋はいずれも交通量の多い公道の通行のため使用されているが、本件堤防天端上の道は右両橋に通じている。

(4) 本件堤防天端は一般車両の進入禁止区域となつているが、不特定多数の人の通行、自転車・オートバイによる通行、ジョギングなどのスポーツ、散歩、遊戯などの用に供されていたし、本件堤防天端から平場へ至る斜面や平場上も子供の遊び場や魚釣りなどに利用されていた。

(二) 被告の河川管理、本件堤防設置・管理の瑕疵

(1) 本件工事施工前の本件事件現場付近は、天然の岸辺であり、岸辺と水面との高低差はせいぜい二〇ないし三〇センチメートルであつて、しかも岸辺付近の水面下の地面の傾斜が緩やかに川中へと続いていたため、岸辺付近における水深は五〇センチメートル前後であつた。このため、就学前の子供が誤つて水面へと転落しても、地面に足がとどき自力で岸辺まで戻ることは容易であつて、本件工事前の本件事故現場付近は、特別危険な状態ではなかつた。

(2) ところが被告による本件工事の結果、前記(一)で主張したとおり、本件堤防天端から平場に至る石段が設置され、平場に容易に降りることが可能な構造になつたうえ、水面上に突き出す形で平担な平場が設置され、平場から水面までの高低差は二メートル、平場近くの水深は三メートルになつたのに、護岸側にはい上がる設備が何ら設けられておらず、しかも平場の近くの水面はヘドロで澱んでいたのであつて、誤つて人が転落した場合には大人でも自力で平場(護岸)にはい上がることは不可能になり、さらに転落者が平場の下に入り込んだ場合には水面上に浮上することすら困難となつた。従つて、本件事故現場付近は被告による本件工事によつて、平場から水面に転落し水死する危険が著しく増大した。

(3) しかるに、被告は前記(一)(2)のとおり鉄パイプとロープからなる柵及び看板を設置したのみで他に何らの措置も施さず、しかも鉄パイプとロープからなる柵は前記のとおり幼児すら支えることのできないものであるうえ、上下二本のロープの間は人がすり抜けるのに十分な空間があるものであつて、平場からの転落防止措置というには不十分であることは明らかである。また、前記の看板もその記載内容からは、川の流れの中に入つていけないものと理解されるのであつて、護岸や平場に入つてはいけないものと理解できないのであつて危険表示として不十分であることも明らかである。

(4) 以上のとおり、被告は本件工事によつて鶴見川に転落し水死させる危険性を著しく増大させたのであり、かつ前記の本件堤防の場所的環境、利用状況等からも、鶴見川への転落の危険性は高かつたのであるから、被告が本件堤防の設置者かつ管理者として、その危険性を回避するに足りる措置、すなわち、本件堤防天端上若しくは平場上への立入遮断あるいは転落防止設備の設置、仮にそれが設置できないのであれば本件堤防天端から平場に至る斜面や平場への立入を明確に禁止した表示板の設置をすべきであつたのにこれを怠つたものであつて、被告には河川管理、本件堤防設置・管理に瑕疵があつたというべきである。

3  損害

(一) 知秋の損害

(1) 逸失利益 三八九〇万円

知秋は死亡当時四歳一か月の健康な男子であり、その就労可能期間は一八歳から六七歳までの四九年間であつたから、知秋の収入金額は昭和五五年度賃金センサスの高卒男子の平均年間給与額に基づいて、右就労可能期間の各年齢区分に対応する平均年間給与額から年五分の割合による中間利息をホフマン方式で控除したものを合計し、生活費として三分の一を差し引いて算定するのが相当であるところ、その計算は別紙(三)計算書のとおりであつて合計金三八九〇万円となる。

(2) 知秋の慰謝料 一五〇〇万円

原告らは知秋の父母として右逸失利益及び慰謝料の損害賠償請求権を各二分の一相続した。

(二) 原告らの損害

(1) 葬儀費用各二五万円

原告らは、知秋の葬儀をしその費用として五〇万円(各二五万円)の支出をした。

(2) 弁護士費用各二七〇万円

原告らは本件訴訟遂行を原告代理人に委任し、認容額の約一割である各金二七〇万円をそれぞれ報酬として支払うことを約した。

4  まとめ

よつて、原告らは、被告に対し、国家賠償法二条一項に基づき、各金二九九〇万円及びこれに対する本件事故発生日以後の日である昭和五八年七月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項(一)(但し、転落した時刻については不知)及び(二)の事実はいずれも認める。

2(一)  同第2項(一)(1)の事実中、鶴見川は町田市、横浜市及び川崎市を流れる長さ四二・三キロメートルの河川(一級)であること、被告による本件工事の結果、本件事故当時、本件堤防の構造が別紙(二)図面記載のとおりとなつていたこと及び平場が水面上に突き出る形で設置され、平場の下にも水が流れる構造になつていたことは認め、その余は否認する。

(二)  同(2)の事実中、本件事故現場の平場の水路側先端には、水面下の川底に突きさし平場上一メートルの高さにつき出した鉄パイプが五メートル間隔で平場の先端に接して設置され、これに安全ロープが原告ら主張の高さに張られていたこと、鉄パイプは一本おきに金具で平場に固定されていたこと及び原告ら主張の位置にその主張どおりの記載内容の立看板が設置されていたことは認め、その余は否認する。右看板以外にも、本件事故当時、本件事故現場付近の平場の鉄パイプにも河川への立ち入りを禁止する旨表示した立看板が設置されていた。

(三)  同(3)の事実中、本件事故現場流域周辺は住宅密集地域となつていたこと、本件堤防近くには藤木マンション、市民農園がそれぞれあつたこと、本件堤防の別紙(一)図面記載の位置に石段があつたこと、本件事故現場から約二三〇メートル下流には末吉橋が、約八六〇メートル上流には鷹野大橋がそれぞれあり、堤防天端はそれらと交差していたことは認め、その余は否認する。

(四)  同(4)の事実中、本件堤防天端が一般車両の進入禁止区域となつていたことは認め、その余は否認する。

3  同項(二)(1)ないし(4)の事実中、(1)につき本件事故現場付近が本件工事前天然の岸辺であつたことは認め、(2)及び(3)につき前記2(一)ないし(三)の認否を援用し、その余については否認する。

4  同第3項のうち、原告らの相続分が各二分の一であることは認め、損害額は争う。

三  抗弁

1(一)  鶴見川は、従来から流下能力の低い河川であつたが、その流域が東京都町田市、横浜市及び川崎市という大都市にまたがつているため、昭和三〇年代から急速な開発が進行した結果、流域の保水能力(土地が水を吸収し保つ能力)が著しく低下し、水害の危険性が増大した。そこで、被告は、増水時における溢水、破堤を防止するために鶴見川の治水事業として昭和四一年三月及び昭和四九年三月に工事実施基本計画の各改定をし、その後更に緊急改修計画を策定し堤防の改築、護岸工事及び浚渫工事を行つてきたが、本件事故現場付近では、右緊急改修計画により毎秒九五〇立方メートルの流下能力を有する河道建設のために、昭和五二年一二月二五日から同五三年三月三〇日までの工期で、川表側(堤防内の河川の流れている側)に鋼矢板を打設し、計画断面に合わせて堤防の嵩上げを行い、川表側の法面にコンクリートブロック護岸を施す護岸工事を施工して現在の堤防とし、同五六年七月二一日から同五七年五月三一日までの工期で、洪水の流下に支障となる河床の土砂を切下げ、高水敷(両岸の堤防の間のうち通常水の流れていないところ)を掘削する浚渫工事を施工し現在のように両岸の堤防の間は全部低水路(通常水の流れるところ)とする本件工事を行つたのであり、それにより本件堤防は別紙(二)図面の構造となつたのである。

その結果、既往最大規模となつた昭和五七年九月の洪水時にもほとんど水害が生じなかつた。

(二)  鶴見川のようにすでに堤防(土堤)が存在し、流域に密集した市街地や工場地帯が存して高度な土地利用がされている場合には、所定の流下能力を確保するための河川改修方法として、両岸の堤防の間隔を拡大する方法は取りえない。また、堤防の構造上の安定や洪水による洗掘の防止のために堤防法面には必要に応じその中腹に幅員三メートル以上の小段(平場)を設けることが要求され(河川管理施設等構造令二三条)、堤防は河川の流水の浸透水に対し安定した法面を有していなければならないから五〇パーセント以下の穏かな法勾配を必要とし、鶴見川が東京湾に流入するためには河口と末吉橋付近の河床との所要の勾配差が要求される。そのため、被告は河川改修工事に伴う右諸条件を充足しつつ、所定の流下能力を確保するため、前記(一)主張のような堤防を嵩上げ補強し、河床を切下げ、高水敷の掘削を行う河川改修方法によらざるをえなかつたのである。

(三)  本件堤防の平場は、流水の作用から堤防を保護するために設置されたもので、洪水時には、流水の疎通に必要な河道の一部をなすものであり、当然水面下に没することから、特に治水上の制約が必要な場所である。従つて、本件堤防の平場に幼児を含む人の河川への転落防止に役立ちうる柵を設けるとしても、洪水時において流水の疎通を阻害して乱流を生じさせ、更に流木などが柵にひつかゝり堤防を損傷しついには破堤の原因となりうるような大きな支障となるようなものを設けることは許されず、本件堤防平場に人の転落を物理的に阻止できるほど強固な柵を設けることはできない。また、本件堤防天端上に立ち入り遮断設備を設けることは水防活動の支障になるなど河川管理上大きな支障となる。

右のような制約のもとに、被告は、本件事故現場付近の安全対策として、次のような転落防止措置を講じた。すなわち、本件事故現場付近の平場コンクリートの水路側先端に長さ五・五メートル、直径四八・六ミリの鉄パイプを五メートル間隔に立てて一本おきに平場に固定し、右鉄パイプを平場から高さ一メートル出るように設置し、これを安全ロープ(黄・黒)を二段(一段目が平場から二〇センチメートル、二段目が七〇センチメートル)に張り、さらに本件堤防の石段付近の天端上及び平場の安全柵としての鉄パイプに河川への立入りを禁止する旨の看板を設置した。

(四)  本件事故現場から約二三〇メートル下流には末吉橋が、同現場から約八六〇メートル上流には鷹野大橋がそれぞれあつて、それらは県道橋として利用されているが、それらの公道から本件堤防天端への出入口には車止めがなされていて本件堤防天端に一般車両は進入できず、もちろん本件堤防天端は道路認定もされておらず、もつぱら河川管理用の通路として利用されていたものであつて、ジョギングや散歩等に利用されたことがあつたとしてもまれなことであり、通勤や通学等のために日常的に利用されることもなかつた。本件堤防の平場も車両や通行の用に供する道路ではなく、日常的に人が通行したり、遊び場として使用されることもなかつたし、仮に、本件堤防の平場が利用されることがあつたとしても、それは人が利用することの少ない本件堤防天端に比してもはるかに少ないものであつた。本件堤防には堤防天端から平場に至る石段と反対側の民有地に至る石段がそれぞれ設置されていたが、それらの石段は河川の維持管理や洪水等の緊急時の水防活動のために設置され、利用されていたものであつて、河川利用者の利用に供するために設置されたものではない。また、本件堤防付近には市民農園や広い空き地があり、本件事故現場付近は特に人が集まるような場所でもなかつた。

(五)  河川は自然現象である流水を対象としていることから、道路、橋梁、建物等の営造物と異なり自然に存在する状態ですでに危険を内在しているものであり、河川管理者はその危険を克服するために治水事業を行つているのである。それゆえ、河川を利用する関係においても、治水を阻害するような利用はなしえず、河川を利用する者は、治水の必要からくる諸制約を甘受しなければならず、河川施設の自由使用に伴う危険は本来利用者である公衆が専ら自らの責任により回避すべきものである。従つて、本件堤防の通常有すべき安全性を検討する場合には、右のことが前提とされなければならない。

ところで、本件事故は、知秋がわざわざ本件堤防天端から平場に降りて、石投げや棒を振り回す等の危険極まりない行動をとり、転落直前通常予測しえない急激な行動をとつたことから発生したものであつて、このような異常行動に対しての安全対策がなかつたことをもつて、河川管理、本件堤防設置・管理の瑕疵があつたとはいえない。

(六)  以上のとおり、本件堤防は治水上の制約がある中で被告によつて為された安全対策上の措置を考慮すれば、営造物として本来具有すべき安全性に欠けるところがあるとは到底認められないところ、知秋の前記行動は本件堤防及び平場の設置管理者において通常予測できない異常行動であるというべきであるから、本件事故は営造物である本件堤防の設置・管理の瑕疵によるものであるということはできない。

2  原告らは鶴見川の状況や本件堤防天端及び平場に設置された立看板によつて同河川が危険であることを知つており、かつ知秋が同河川に行く虞のあることを知りながら行き先も確かめずに知秋を放置し、本件事故を惹起させたものであつて、右の事実及び前記1(五)の事実によれば、原告ら側には本件事故につき過失があるというべきである。

四  抗弁に対する認否

否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因第1項(本件事故の発生と当事者)の事実は時刻の点を除き当事者間に争いがなく、原告佐藤誠本人尋問の結果によれば、知秋は、本件事故当日の午後一時ころ、姉の美湯樹及び伊藤マユミ(いずれも当時五歳)といつしよに自宅から約二〇〇メートル離れた本件事故現場である平場に赴き、同所で石投げや棒を振り回すなどして遊んでいたところ、知秋の前を歩いていた美湯樹とマユミが水の音を聞いて後ろを振り返つてみると、知秋が鶴見川に転落していたものであることが認められる(ただし知秋が平場のどの地点からどのような経過で転落したかを具体的に認めるに足りる証拠はない)。

二そこで、被告の責任(同第2項及び第二の三、1)について検討する。

1  鶴見川は町田市、横浜市及び川崎市を流れる長さ四二・三キロメートルの河川(一級)であること、本件工事前の本件事故現場付近は天然の岸辺であつたこと、被告による本件工事の結果、本件事故当時、本件堤防の構造は別紙(二)図面記載のとおりになつており、平場が水面上に突き出る形で設置され、平場の下にも水が流れる構造になつていたこと、本件堤防付近には別紙(一)図面記載の位置に堤防天端から平場に至る石段と民有地に至る石段とがそれぞれ設けられていたこと、本件事故現場付近の平場の水路側先端には、水面下の川底に突きさした平場上一メートルの高さの鉄パイプが五メートル間隔で平場の先端に接して設置され、これに平場から二〇センチメートル及び七〇センチメートルの高さに上下二段にロープが張られていたこと、その鉄パイプは一本おきに金具で平場に固定されていたこと、本件堤防天端上の概ね別紙(一)図面記載の位置二か所に「あぶない、かわにはいつてはいけません」と記載され、幼児が川にはまつて溺れている絵の書かれた立看板が設置されていたこと、本件現場流域周辺は住宅密集地域となつており、本件堤防付近には藤木マンション、市民農園がそれぞれあつたこと、本件事故現場から約二三〇メートル下流には末吉橋が、約八六〇メートル上流には鷹野大橋がそれぞれ公道通行用として設けられており、堤防はそれらと交差していたこと、本件堤防天端は一般車両の進入禁止区域となつていたことの事実はいずれも当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すれば、さらに次の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一)  本件工事が施工される前の本件事故現場付近は、河川の両側に土堤があつて、土堤内は土堤と水路との間に土の河川敷がありそこでは人がよく遊んでおり、水際には草が生えて天然の岸辺となつていて、岸辺と水面の高低差はわずかで岸辺付近の水面下の傾斜も緩やかであつたから、子供でも背が立つ状況であつた。

(二)  鶴見川は以前から流下能力が低い河川であつたが、その流域が東京都町田市、横浜市及び川崎市にまたがり、しかも東京都の都心に近いことから昭和三〇年代の後半から急速に開発が進行したため流域の保水能力が著しく低下し、水害の危険性が増大したことから、建設大臣は増水時における溢水、破堤を防止するために昭和四三年二月鶴見川水系工事実施基本計画を定め、昭和四三年三月これを改定し、更にそのころ緊急改修計画を立て、堤防の築造、護岸工事及び浚渫工事など鶴見川の治水事業を行つてきたが、本件事故現場付近においては、右緊急改修計画に基づいて毎秒九五〇メートルの流下能力を有する河道建設のために、昭和五二年一二月二五日から同五三年三月三〇日まで(護岸工事)と同五六年七月二一日から同五七年五月三一日までの間(浚渫工事)本件工事を行つた。

鶴見川は、その沿岸に密集した市街地や工場地帯が存在し、高度な土地利用がされていたため、既定の流下能力に対応しうる河積を確保するためには河川両岸の堤防の間隔を拡大する方法は取りえず、既存の堤防の嵩上げ補強、河床の切り下げ、高水敷の掘削等次のような本件工事の方法によらざるをえなかつたのであり、これにより本件事故現場付近の状況は、別紙(二)図面記載のとおりの構造となつた。すなわち、本件堤防は水路に接して垂直に打ち込まれた鋼矢板とその上部のコンクリート平場部分、堤防天端に至るコンクリートブロック張り表法面部分、堤防天端及び堤防天端から民有地に至る裏法面部分からなり、鋼矢板の長さ八メートル、平場の幅三・四二五メートル、平場から堤防天端に至る斜面は二割勾配(縦と横の割合が一対二)、平場から堤防天端までの高さ三・四メートル、堤防天端の表法面の水平距離六・八メートル、天端の幅五メートルとなつていた。そして、本件事故現場付近の本件堤防には概ね別紙(一)図面記載の位置に、堤防天端から平場に至る石段と反対側の民有地に至る石段が設置されていた。

(三)  本件工事の結果、本件堤防のコンクリート平場は水路際の先端まで平担であつて水路寄り部分を高くしたり突起物を設けたりなどされておらず、しかも平場の下はえぐられて水面上に約三〇センチないし五〇センチ突き出る構造になつたため平場の下にも水が流れるようになり(別紙(二)図面)、更に本件事故現場付近では本件堤防の平場から川底までは三ないし四メートルとなり、平場から直ちに垂直に水面がつながり、平場から水面までの高低差二メートル前後、本件事故現場付近の水深二メートル前後となつた(干潮時と満潮時で異なる)うえ、水面は汚濁していて、川底を見通すことはできない状態であつた。しかも、右鋼矢板及び本件堤防平場には転落した場合にはい上がる、あるいはつかまるための設備は設置されなかつた。

(四)  本件堤防の平場の水路側先端には、五メートル間隔で川底に突きさした平場上一メートルの高さの鉄パイプに、平場上から二〇センチメートル及び七〇センチメートルの高さに上下二本の安全ロープ(黄・黒)が張られた柵が被告によつて設けられていたが、鉄パイプは一本おきにのみ金具で平場に固定されているにすぎなかつたため、固定されていない鉄パイプを押すと平場から二〇センチメートル程度水路側に傾いてしまう状態であつた。本件事故現場付近では本件堤防の天端上二か所(概ね別紙(一)図面の位置)に「あぶない!!かわに、はいつてはいけません」と記載され、幼児が川にはまつて溺れている絵の書かれた立看板が被告によつて設置されていたほか事故現場付近の平場の鉄パイプの一か所(概ね別紙(一)図面の位置)に「あぶないからはいつてはいけません」と記載され、人が手のひらを出している絵の書かれた立看板が本件工事中に本件工事施工者によつて設置され、工事完成後もそのまま設置されていた。

(五)  本件事故現場の約二三〇メートル下流には末吉橋が、約八六〇メートル上流には鷹野大橋がそれぞれあつて、それらの橋はいずれも公道用に利用されていたところ、本件堤防天端は、右の公道に接していたが道路認定はされておらず、一般車両の進入も禁止されていたけれども、自転車、ジョギングなどのスポーツ、買物に行き来する道などとして利用されており、また、本件堤防天端、表法面や平場は子供の遊び場として利用されることもあつた。

3(一)  ところで、国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理に瑕疵があるか否か、換言すれば営造物が通常有すべき安全性を欠いているか否かについては、営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきところ、前記1の事実及び2認定の事実によれば、本件工事を含む一連の鶴見川河川改修工事は、もともと増水による同河川流域に居住する住民の生命、身体、財産等に対する被害の発生を未然に防止するために行われたものであり、現に本件工事は本件事故現場付近における溢水や破堤の危険性を飛躍的に減少させるに至つたことが明らかであるが、他方本件工事において、所定の流下能力に対応しうる河積を確保するためには、本件事故現場周辺を含む鶴見川流域周辺は住宅密集地域になつていたことから河川両側の堤防を拡大する方法は取りえず、従来の高水敷から河道までのなだらかな自然の土の岸辺につき河床の切り下げ、高水敷の掘削、既存の堤防の嵩上げ補強等本件工事の方法によらざるをえなかつたため、本件堤防は、別紙(二)図面記載のとおり、コンクリート平場は水路側先端まで平担であり水路に転落する危険が極めて大きい構造になつたうえ、同平場から直ちに垂直に水深二メートル前後の水面となり、平場と水面も二メートル前後の高低差があるのに護岸にはい上がる設備も設置されておらず、しかも、右コンクリート平場が水路上に三〇センチないし五〇センチ余り突き出た形状になつたため誤つて人が転落しても右平場の下に入りこんだときは水面に浮上することすら困難な構造となつたのであり、本件工事により鶴見川の水路に転落する危険性、更に転落した場合における生命の危険性は、本件工事前の状況に比して著しく増大したというべきであり、しかも、本件事故現場流域周辺は住宅密集地域であり、本件堤防の天端は、人が自転車、歩行、ジョギングなどのスポーツ、買物に行き来する道等に利用し、更に本件事故現場付近には堤防天端から平場に至る石段が作られており、平場は子供達が遊びに利用していたことも明らかである。

そして、前記一で認定したとおり本件事故は、知秋が本件堤防天端から平場に降りて、そこで石投げや棒を振り回すなどして遊んでいたところ鶴見川に転落したものであることが認められるが、知秋の右行動は本件堤防・平場の前示の利用状況に照らすと通常予測しえない異常な行為であるとは到底認めることが困難であり、その他本件全証拠によつてもこれを認めることはできない。

そうすると、本件事故の発生した本件堤防・平場について、その構造、用法、場所的環境及び利用状況等右諸般の事情を勘案して判断するときは、右本件堤防には通常有すべき安全性において欠けるところがあつたものというほかない。

(二)  被告は、右につき、本件堤防の平場は増水時には流水の疎通に必要な河道の一部になるものであるから、増水時において流水にとり大きな障害となるような物を平場に設置することは許されず、また堤防天端上に立入り遮断設備を設けることは水防活動の支障になるものであるところ、本件事故現場付近の安全対策として、平場の水路側先端に鉄パイプを立てそれに安全ロープを張つて転落防止の措置を講じ、かつ本件堤防天端及び平場上に危険防止のための看板を設置したのであり、右の措置は前記の制約下における最大限の安全対策というべきであつて、本件堤防の設置又は管理に瑕疵はない旨主張する(被告主張(三))。しかし、証人木下健の証言及び弁論の全趣旨によれば右の前段の事実が認められ、右の後段の安全ロープを張つた鉄パイプ及び看板をそれぞれ設置した事実については前記2(四)で説示したとおりこれを認めることができるけれども、前記のとおり、本件事故現場流域周辺は住宅密集地域で(場所的環境)、本件堤防の天端及び平場は子供を含む一般公衆に利用されている(利用状況)という状態であつたのに、本件堤防の平場・護岸は極めて危険な構造であつたのであり右各事実に照らすと、被告主張の前記各主張事実の存在を考慮しても、なお被告の施した安全対策では未だ事故回避措置として不充分であるというほかない。

また、河川管理は、道路等の営造物を管理する場合と異なり、自然現象としての危険を内在する流水から住民を守るという点で困難を伴うのであり、そのため河川を利用する者は治水の必要から来る制約に服すべきことは経験則上明らかであるというべきであるが、そうだからといつて、直ちに本件堤防の平場のように河川施設が極めて危険な構造であるときに、それを利用する者に専ら危険回避の責任があるとすることは困難であるというほかない。

そして、また〈証拠〉によれば、鶴見川河川改修工事の区域は本件工事現場を含み同河川の流域十数キロメートルにも及び、その間には人が立ち入つて転落して溺死する危険のある箇所は本件事故現場周辺以外にも存在するものと推認され、仮にそれらにつき転落防止措置をとるとすればその費用が相当多額にのぼるものと考えられるが、営造物を一般公衆の利用に供する限り、それに伴つて、当該営造物の設置・管理に瑕疵があるか否かの問題の生ずることは避け難いというほかないのである。

4  以上のとおり、本件堤防には通常有すべき安全性につき欠ける点があり本件事故はそれにより生じたものというほかないから、瑕疵ある営造物の設置・管理者であるというべき被告は本件事故により生じた損害を賠償すべき義務がある。

三そこで、次に原告らの損害(請求 原因3)につき検討する。

1(一)  知秋の損害

(1) 逸失利益

原告らの長男知秋は、本件事故当時四歳一か月であつたことは当事者間に争いがないから、同人は満一八歳から満六七歳までの四九年間就労可能であると認められるところ、昭和五七年「パートタイム労働者を除く労働者の年齢階級別きまつて支給する現金給与額、所定内給与額及び年間賞与その他特別給与額」表によれば、同年における産業計の男子労働者のきまつて支給する現金給与月額は金二四万六〇〇〇円、年間賞与その他特別給与額は金八四万二〇〇〇円であるからその年間収入は金三七九万四〇〇〇円となるので、右金額から相当と認められる生活費五割を控除した年間収入金一八九万七〇〇〇円を基礎としてライプニッツ式計算法により年五分の中間利息を控除して前記就労可能期間中の収入の現価を計算するとその額は金一七四〇万六八七二円となる(1,897,000×(19.075−9.899)=17,406,872)。

(2) 知秋の慰謝料

前示本件事故の経緯に照らすと金一〇〇〇万円をもつて相当と認める。

(3) 原告らが知秋の両親であることは前記のとおり当事者間に争いがないから、原告らが知秋の右損害金を二分の一である金一三七〇万三四三六円ずつ相続したことになる。

(二)  原告らの損害

〈証拠〉によれば、原告らは知秋の葬儀を行ないその費用として金五〇万円を下らぬ金員を支出したものと認められるところ、右は本件事故と相当因果関係にある損害ということができるから、原告らの負担は各金二五万円である。

(三)  以上を合計すると、原告らの損害は各金一三九五万三四三六円ということになる。

2  過失相殺

河川の流水はそれ自体転落すれば危険なものであるうえ、前記のとおり、河川管理者は自然現象として危険を内在する右流水から住民を守るという目的のために治水事業を行うのであり、かつ治水上の要請から堤防・護岸など河川施設の構造にはある程度制約の生ずることは避け難いというべきなのであるから、河川の施設を利用する以上、利用者である住民自身(保護者も含めて)にも結果回避のための大幅な注意義務が要求されるというべきである。ところで、前記のとおり、本件事故現場付近の鶴見川の川幅は広いうえに水面は汚濁して水深は見透せず、本件堤防の平場の構造は水路際まで平担であつて水路側を高くしたり突起物を設けたりなどされておらず、しかも平場の下はえぐれて水路に突き出て直ちに水面につながつていて、転落する危険があり、転落したときははい上がる設備がなく、危険であることは一見して何人にも明らかな状態であるうえ、被告によつて一応平場には単管パイプとロープからなる柵が、また、本件事故現場付近の本件堤防天端及び平場には立看板がそれぞれ設置されていて、それらの柵や立看板は鶴見川が危険な状態であることを警告していたものであるから(本件堤防天端及び平場上の前認定の立看板は文言上直接的には鶴見川内に入ることを禁止しているものであるが、間接的には鶴見川が危険であることを警告するものである)、本件事故現場付近の居住者らはその危険性を十分知りえたものであつて(原告佐藤誠本人尋問の結果によれば、原告らも本件事故前本件事故現場付近の状況を知つていたものであることが認められる)、鶴見川に転落した場合の危険性をふまえた行動を取ることができる状況にあつたものである。それにもかゝわらず、原告佐藤誠本人尋問の結果によれば、本件事故現場から約二〇〇メートルの至近距離に居住している原告らが、知秋に対して危険個所である本件事故現場に行くことを禁止してそれを徹底させ、又は知秋の行動や遊び場所について監視するという注意を充分に行つていなかつたことが認められるのであつて、原告らには知秋の保護者として要求される注意義務を怠つた過失がある。

以上の原告らの過失を総合的に斟酌すると、原告ら側の過失割合は九割とするのが相当で、右の判断を左右するに足りる証拠はない。従つて、原告らの損害は各金一三九万五三四三円となる。

3  弁護費用

原告らが本件訴訟の提起とその遂行を原告代理人らに委任したことは当裁判所に顕著であり、本件事案の内容及び訴訟の経過等を斟酌すると、本件事故と相当因果関係があると認められる弁護費用は原告らにつき各金三〇万円(損害額の約二二パーセント)と認めるのが相当である。

4  以上のとおりであつて、被告は原告らに対し、各損害金として金一六九万五三四三円及びこれに対する本件事故発生の日以後である昭和五八年七月二九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

四よつて、原告らの請求は右認定の限度において理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文、仮執行の宣言及びその免脱宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官澁川 滿 裁判官池田陽子 裁判官加々美博久)

別紙(三)計算書〈省略〉

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